ぶるぢっちゃんのウワサの町中華さんの他のレビュー
コメント
どもです。
浅草来々軒を継ぐもの、ご苦労さまです🙇
自分は神田の勤務が27年になりますが王府は
頭の上をあちらの言葉が大声で行き交う大陸系のお店です。
王府が入って7~8年でしょうか、その前は楽兆と言う
居酒屋で、週一は通った居酒屋でした。
ラーするガッチャマン(通院中) | 2020年12月5日 20:48スープは蕎麦だしみたいなものだったんですね🤔
それに比べたら、今どきのスープは随分と贅沢なんでしょうね。
本来、ラーメンはシンプルなもの。。。
そうあって欲しいです。
NORTH | 2020年12月5日 20:52ぶるさん
全部読んじゃいました。
>このスープは、おそらく、まったくベツモノ。
考えてみればそりゃそうですよねえ。このスープが当時からあったら、それこそえらいことです。
まなけん | 2020年12月6日 03:28おはようございます!
ライフワーク、お疲れさまです!^^;
いつも興味深く拝見しており賛同しております。
自分も「汁あり担々麺は陳健民が発明したものじゃない!」
という事を調査するのに四川省へ2度も行きましたので
貴殿の拘りが凄く刺さります!「美味しんぼ」のガセネタ結構多いです…。w
4門 | 2020年12月6日 07:50おはようございます^^
あ、私が振られたあのお店ですか。
来年、再チャレンジしなくちゃ!
mocopapa(S852) | 2020年12月6日 09:11こんにちは。
スープの原点はそば出汁との記述は凄く良く分かります。
東北では天童の水車生そばが発祥とされる鳥中華がまさにそれですね。
蕎麦の代わりに中華麺を入れたのがスタートだそうですから。
kamepi- | 2020年12月6日 10:01おはようございます😃
大作の準備が着々と進んでいるようですね。
復刻プロジェクトとは言っても、このラーメンは
さほど蕎麦だしには似てないようですね。
今後、正当な後継店を絞って行く中で、また旅も
されるのでしょう。
楽しみにしてますよー
としくん | 2020年12月6日 10:38この読み応え抜群な本格コラムとは全く関係ないんですが、相鉄新横浜線+東急新横浜線のアクセスが開通すると、相当に利便性が上がると思うんですよね。新横浜の価値が更に上がる事は間違いない。
そんな中、新幹線ホームからは未だに畑が散見される長閑さもあり、本当に面白い街だと思います。
写真のえびす様、運が良いと鯛を二尾持ってるんですが、確率低杉で恵比寿のヱビスビール記念館でしか見た事ありません。店頭で一度は見てみたいなあ。
Dr.KOTO | 2020年12月6日 11:24こんにちは
鰹節主軸だったであろうダシが、
鶏ガラや豚骨主軸に変わったきっかけは、
何だったのでしょうかね…
考えると夜も眠れません…ウソ苦笑
おゆ | 2020年12月6日 11:33こんにちは
今頃遅コメ失礼します。
この間言ってた丸デブの事ですね。
そばみたいであまり美味しくないですよね^ ^失礼。
加須市の来集軒本町本店が来来軒の味に近かったのではと思っています。
ここも今どきの味わいでは無いです。
来来軒が出来た頃にあった来集軒の製麺所は後に浅草でラーメン屋になりましたが、ここは昭和の初めからずっとラーメン屋。
来来軒が出来た頃には既に製麺屋さんがあったんだと気付かされたお店です。
あらチャン(おにぎり兄) | 2021年1月8日 15:26

ぶるぢっちゃんのウワサの町中華
SBT

コバト
LIE LIE LIE
ratomen





『其の後の、淺草來々軒を、継ぐもの ~大正・昭和の店、味、そしてご当地ラーメン』
誰も知らない。誰も分からない。作った人は無論いる。食べたことのある人も大勢いる。しかし、もうだれも、この世にはいない。
だから。自由には作れる。けれど縛りがキツイ。だからプレッシャーは半端ない。
そんなチャレンジにはただ敬服するのみ、である。
けれど。
このスープは、おそらく、まったくベツモノ。大正初期の淺草來々軒の支那そばとは。
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霜月11月のある日のこと。久しぶりに見上げた新横浜の空はとても高く、清々しい。かつて毎日のように利用したこの駅であるが、僅か二年ほどの時間の経過ではさしたる変化はないようだ。いや・・・相鉄の工事は地下でだいぶ進んでいるようである。とにかく首都圏にある新幹線停車駅で、これほど不自由をする駅はない。横浜アリーナや日産スタジアムでイベントがあるときなど入場規制するほどだ。それでは新幹線に乗れないではないか。相鉄の駅工事は、むしろJRの駅を混雑させるだけかも知れないが。
淺草來々軒の復刻プロジェクト。当初は相当混雑したようであるが、だいぶ日にちも経った平日だから、ボクが入店したとき、先客は僅か2人。後からも3人ほどという寂しい入りだ。またぞろコロナ感染者が増えてきた、という事情もあろうが、この手の業態は今の時期、非常に厳しい状況が続くのだろう。
明治末期、当時の日本最大の繁華街・淺草に開業した支那の一品料理屋、今で言えば町中華の店を、一体なぜ、だれが(見当はついているが)「日本初のラーメン専門店」などという呼び名を付けたのか? 結論を書けば淺草來々軒は、日本初のラーメン専門店では決してない。それはボクだけではなく、数は少ないが、そう主張してきた人たちがいる。今回のラーメン博物館の企画は、ようやくその事実と、淺草來々軒が日本にラーメンブームを最初に広めたきっかけの店ということ広く伝えていくということなのだろう。
頂いた一杯は、なんともビミョウな味である。スープは懐かしさなど微塵も感じさせないが、では今風であるかというとそうでもない。物足りないこともなく、かといってうーむと唸らせるほどの旨味や深みはないのである。ボクがときどき使う「町中華以上高級中国料理店以下の中級中華」的なテイストで、値段相応という感じである。いや、なかなかのモンである、と思う。
ちょっとスープの講釈を垂れようか。これが実は、淺草來々軒の、正統な‘後継店’を特定する貴重な話になるやも知れぬのだ。それは後述。
麺は青竹打ち選択。当たり前である。復刻プロジェクトで機械打ちの麺など喰って堪るか! ってなもんである。実際の淺草來々軒では、來々軒三代目店主・尾崎一郎氏によれば「昭和五、六年あたりまでこのシナの手打ちでしたが、(中略)半手打ちになり、本当に全部が機械打ちになったのは、昭和十年頃じゃあなかったかと思いますよ」(注1。以下「*」)。なのだそうだ。流石に手打ち、もっちりしてこれは旨い麺である。
具。これについても一郎氏は語っているのだ(*)。『来々軒のラーメンは昔からメンマと焼豚、それに刻みネギだけ。シンプルなもんです。本来、ラーメンはシンプルなものなんです』。で、ここで頂いた一杯は、そのとおりのモノ。もちろん焼豚は煮豚ではなく、食紅使用の吊るし。それより特筆すべきはメンマであるのだ。一郎氏はやはりこう語っている(*)。『来々軒では干筍を一週間くらいかけて水でもどして、柔らかくなったところで豚のバラ肉と一緒に、ザラメと醤油と化学調味料で銅の大鍋で三、四時間かけて煮てましたねェー』。今回の一杯も『台湾産の乾燥メンマを1週間かけて水で戻し』(注2)たそうであるから、手間はかけているのである。
麺と具。これはもしかすると、創業当時の淺草來々軒のモノに近いかも知れない。しかし、ボクは、いままで調べてきた書籍等から、ボクの想像力を精一杯働かせて、こう結論づける。
「きょう頂いたこのラーメンのスープは、創業当時の淺草來々軒のものとは、おそらくだが、まったくベツモノである」、と。
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『スープは鶏ガラ、豚骨に野菜』と淺草來々三代目・尾崎一郎氏は話している(*)。今回は 支那そばや 本店 が調理を担当しているので、当然その店の味はある程度取り込まれているのだろうが、あくまで「復刻版」だから、材料にそれほどの差はあるまい。それよりボクが言いたいのは尾崎一郎氏が淺草來々軒の厨房に立ったのは昭和10年から(*)、ということにある。淺草來々軒の創業は明治43年もしくは44年のことだから、その時すでに25年ほどの年月が経っているのである。さて、その間、ずっと同じレシピでスープを作っていたのであろうか?
さて、そのスープについての講釈であるが、相当長くなる。詳しくは来年初頭にUP予定のブログを見て頂きたい
(ブログは
https://blog.goo.ne.jp/buruburuburuma)
簡潔に書けば、それは 伝承料理研究家の奥村彪生氏(注3)は、著書(注4)からすれば、であるが。
『(淺草來々軒の)支那そばのスープは鶏や豚の骨からとり、醤油味をつけ、そばだしに似て』いたのである。したがい、今日いただいたモノとは全く違う。そして、このことは淺草來々軒の創業当時の味を今に伝える、まさに‘正統的後継店’がどこであるのかを教えてくれるかも知れないのである。
さて。
『そばだしに似ていた』。
なぜこの著者はこう書いたのか? 著書ではこう続ける。実に興味深い記述である。『中国風の麺条(注5)をなぜ支那そばと呼んだのでしょうか。そば粉をいっさい使わない小麦粉の麺条を中国風に肉のスープに泳がせて食べるやり方を支那そばというのは、スープは鰹節入りで、そのうえ味付けに醤油を使い、その味はそばだしのような感じだったのでそう命名したのでしょう』。
そしてこの著者は、旭川の 旭川らぅめん青葉 本店(注6)(注7) で初めて食べた際、スープについては『こりゃそばだしだと即座に思』ったそうで、『飛騨高山の 豆天狗 本店(注8) や まさごそば (注9)のスープもそばだしそのもの』で、『このそばだし系のスープは東京の支那そばがルーツなのです』と書いている。つまり、そばだしに近いスープこそ、大正初期の淺草來々軒のスープなの・・・かも知れないのである。
飛騨高山といえば・・・・「この店」から近い。
だとするなら、明治末期に創業し、大正期に興隆を極めた淺草來々軒の正当な‘後継店’は?
ある料理人が開いた、「この店」ではではなかろうか。ボクはほぼ確信的にそう思っているのだが、この年末、「ある店」に行って、その可能性の確度を高めて来たいと思っている。
(つづく。次回は「’ラーメン’の名付け親はだれ?」)
※「この店」「ある店」とは、淺草來々軒に関りのあった(と思われる)下記のいずれかです。詳しくはいずれボクのブログで(笑)
■中国料理 進来軒 千葉・穴川。昭和43年創業。
■手打ち中華 トクちゃんらーめん 郡山。平成7年(業態変更により)創業。
■祐天寺 来々軒 東京・祐天寺。昭和8年創業と言われるが異論あり。
■たちばな家 東京・檜原村。昭和21年創業。
■大貫 本店 尼崎。大正元年創業。
■丸デブ 総本店 岐阜。大正6年創業。
以下は調査中ですが、無関係かと・・・。
■来々軒 弘前。中国から来た呉銘徳氏が大正末期から昭和初期に創業したと言われる。
■来々軒支店 前橋。昭和6年創業。「本店」所在地等は調査中。
※淺草來々軒の表記は本来『來々軒』ですが、他の書籍の引用などで「来々軒」とある場合はそれによります。
(注1)「にっぽんラーメン物語 中華そばはいつどこで生まれたか」から抜粋。小菅桂子・著、駸々堂。1987年10月刊。単行本である。
(注2)ラーメン博物館公式サイトより。https://www.raumen.co.jp/shop/rairaiken.html
(注3)奥村彪生氏 略歴は此方を参照。
農林水産省 https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1103/interview.html
(注4)奥村彪生氏の著書 「進化する麺食文化 ラーメンのルーツを探る」。安藤百福・監修、フーディアム・コミニュケーション、1998年6月刊。のち、加筆の上改題。「麺の歴史 ラーメンはどこから来たか」。角川ソフィア文庫、2017年11月刊。
(注5)麺条 もしくは麺條。中国語で日本語における麺類を指す。
(注6)旭川らぅめん青葉 昭和22年、初代村山吉弥氏が屋台で創業。スープは豚骨、鶏ガラの他に利尻昆布、鰹節、煮干し、各種野菜、だそうである。
(注7)リンク先はRDB。
(注8)豆天狗 昭和23年創業。
(注9)まさごそば 昭和13年、屋台で創業。高山ラーメン発祥の店と言われる。
なお、写真はちょっと仕掛けをしています。気が付きました? そう、キリンビールの「キリン」文字のようなものです。こんなもんがあるんですね~ 次の年が良い年でありますように、と願いを込めて。