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コメント
こんばんは!
今や此方の『伊藤』は、高い・不味い・薄い!となってしまい、
自分も全く寄り付かない状態です。駒形に在った時の方が旨かったのに。。。
そして、自分も今この歳になり何故もっと『来々軒』や元祖カツカレーの
『河金』の常連だった祖父や親父に詳細話を聞かなかったかを後悔しています!w
4門 | 2020年3月26日 19:24こんばんは
熱く読ませていただきました。
何故伊藤浅草のレポが被るなんて思ったら、淺草來々軒の発祥が近くなんですね。
加須の来集軒で興味を持って淺草來々軒を調べても答えが出ませんでした。
ぢっちゃんさんの魂の作品。
次回も楽しみにしています。
あらチャン(おにぎり兄) | 2020年3月26日 21:04移転したんですね。
コチラは親父さんの店に比べると、全然なってないですね🤔
淺草來々軒の話、よく調べましたねー😱
これからの展開も楽しみにしています。
NORTH | 2020年3月26日 21:30こんばんはぁ~♪
浅草来々軒の話 これは楽しみです。
流石ブルさん 突き詰めたんですね。
ワクワクしながら、次のレポを待ちます。
まとまったら、本をだしましょう!
mocopapa(S852) | 2020年3月26日 22:09こんばんは。
伊藤は角館が一番好きです。
そう言えば塩釜にも来々軒がありますね。
kamepi- | 2020年3月26日 22:51こちら二回目とは…
お気に入り??伊藤の浅草…
知らなかったです。
あひる会長 | 2020年3月26日 23:24ここの店舗も一度いきましたが、
東銀座のお店で久々喰らいたいです。
YMK | 2020年3月27日 08:01どもです。
伊藤も此方だけは何故か未訪問😲
一回は行っときますが💨
ラーするガッチャマン(通院中) | 2020年3月27日 08:01おはようございます🌞
浅草の来々軒は一度食べ逃しているので
早めにと思っています☺️
こちらの系列はどこもやや廃れてきましたね😅
銀あんどプー | 2020年3月27日 08:30買わないww
読み聞かせて、ざっくりね!
junjun | 2020年3月27日 08:34こんにちは〜。
来々軒という名前はあちこちで見る気がします。連載楽しみにしてます。
尼茶(血圧やや良化^^;) | 2020年3月27日 08:55こんにちは(*^^*)
連載熟読。
楽しみにしてます。
この店、移転していたとは知りませんでした。
先週末は浅草界隈も久々に賑わったようで。
としくん | 2020年3月27日 10:28こんにちは。王子にオープン当初は煮干スープに感動したものです。濃口に慣れ、自分も同じ感想になるかもです。
いたのーじ | 2020年3月27日 12:20後半の本題のプロローグ。
新型に翻弄されている中、
漸くに興味深く読めました。
おゆ | 2020年3月28日 22:53

ぶるぢっちゃんのウワサの町中華
千年
ぴーえむ
Ramen of joytoy
Chris MacArthur






え? 客、ゼロ・・・
日曜、11時30分。浅草公園六区、通称浅草六区のすぐ近くの「伊藤」で、だ。確かに休日の浅草、いつもの浅草ではない。人が少ない。観光人力車の客引きばかりが目に付く。大変なのは分かるが、あまりに露骨なのはこの街の品位にかかわるぞ、なんて思いながら店に来たのだが。
まさかまさかのノーゲスト、とは。確かに、此処の伊藤、他の伊藤と違ってレヴューも大して上がらない。それほどの人気店ではないようなのだが、これはあんまりだ。
頂いた一杯。前回来たとき、2018年の12月なのだが、そのときも「あれ?」という感じであったが、今回も、だ。
現在(いま)となっては、ライト、というほどではないが、ガツン系煮干し店が増えた今、煮干し感は軽め。ボクはもう煮干しがキツイのはダメなので、これくらいが丁度いいのであるが、どうも今いちピント来ない。
麺はいつものパッツン系。「伊藤」にはこの麺しかないだろう。ヤワ麺とか太麺はまったく想像できない。
「伊藤」のチャーシュー。都内のラーメン店の中では最も好みのチャーシューの一つ。トロトロ、である。
しかし。毎度のことながら、スープ増しにしても大して多くないスープ。150円はかなり高いと感じるネギ。これで1,050円なのだから、「うーん」という感じだ。これならどこぞの中華店で定食でも喰ったほうが・・・
いやいや。今日は浅草六区でラーメンを喰わんとあかん。しかもかつての「淺草区淺草新畑町三番地」が見える場所で、だ。「伊藤」なら、其処は目と鼻の先。店を出れば見えるところにある。
そして、ここから『淺草來々軒にまつわる八つの物語』。
浅草六区内、「淺草区淺草新畑町三番地」は、淺草來々軒という大衆中華料理店、三代目主人尾崎一郎氏の言葉を借りれば「支那の一品料理屋」のかつての所在の地。つまり、淺草來々軒は、この場所で誕生した。今回から8回、屋号や土地など、淺草來々軒にまつわる単語をキーワードに、淺草來々軒=日本初のラーメン(専門)店説の検証を、ダイジェストで書いていこう。なお、これは史実に基づくものだ。一回目は「淺草公園地第六区」。
下総舞鶴藩の武士の家に生まれた創業者・尾崎貫一氏は横浜税関に勤務していたという。しかし、何を思ったのか、1911(明治44)年、この地で支那の一品料理屋を始めた。
尾崎氏はもちろんエリートであったろう。子・尾崎新一氏は二代目であるが、府立三中(現・両国高校)から早稲田大学の商科に進んだこちらもエリートである。このエリート一家がなぜ支那の一品料理屋を、そして淺草六区の地を選んだのか、記録は一切なく不明である。
当時の浅草は日本一の大繁華街であったことは間違いない。この街、大繁華街なら成功するだろうと考えたのだろうか。しかし、成算はあったはず。横浜の南京町(現在の横浜中華街)から調理人を引き連れてきたのだから。
『安くて早くておいしい 朝から晩まで千客萬來。東京名物 淺草公園新畑町角 天下一品 支那料理 來々軒』
これは、1921(大正10)年、当時発行された本に掲載された広告の内容である。『朝から晩まで千客萬來。東京名物』、広告に偽りなく、1918(大正7)年に発行された書籍では、來々軒の様子をこう記している。
『浅草公園での名物は支那料理で名高い來々軒である、電車仲町停留場から公園瓢箪池への近道で新畑町の角店だが、同じ支那料理でもよくあヽ繁昌したものだ、二階でも下でもいつも客が一杯で中々寄り付けない』。そして料理は『頗(すこぶ)るおいしい その上に値が極めて安い』、さらに『慥(たしか)に東京名物である事を保證する。』とまで書かれたのだ。
大正時代の來々軒の残された写真には「支那料理」「広東料理」と書かれた看板が映る。何といっても來々軒が成功したのには、本場・広東料理を提供したことにある。大正半ばには中国人調理人がなんと12人もいたという。
しかし、昭和に入ると、來々軒は徐々に客を他店に奪われていく。やがて戦争がはじまると、全国的に食糧難に陥る。來々軒も食材を揃えられなかったのだろう、五目そばを食べた客から『うわあ 不味い』と言われてしまう。そして、三代目・尾崎一郎氏は出征、1943(昭和18)年、浅草の店は閉じられた。來々軒が再びその暖簾をかけたのは、戦後10年近く経った1954(昭和29)年のこと。ただし、その場所は生誕の地・浅草六区ではなく、東京駅近くの八重洲であった。
淺草來々軒はこれまで、1910(明治43)年の創業、と言われてきた。また、日本初のラーメン専門店、あるいは店舗を構えた日本初のラーメン店とか、庶民を対象としたラーメン・ワンタン・シュウマイなどをメインした初めての店、とも書かれている。
これらは本当なのだろうか?
これらは全部、根拠が、ない。さらに言えば「今まで塩味しかなったラーメンを醤油味にして提供した初めての店」という話も根拠はない。おそらく、1980年代に書かれた本を基にして、1990年代に起きた、ある出来事をきっかけに「作られたことば」だ。ついでに言えば、1911年創業説を言い始めるのは、おそらくボクが初めてだろう。無論、今まで誰も指摘して来なかった根拠があるからだ。
一体、「支那の一品料理屋」が、かに玉や中華丼・焼きそばなどを提供していた中華料理店が、当時の浅草にあふれていた町場の店が、1990年代になぜゆえ「日本初のラーメン店」なる存在に変化していったのか。
あと七回、屋号や土地など、來々軒にまつわる「単語」を基にラーメン店を巡りながら、大正時代・昭和初期、そして20世紀後半から21世紀に書かれた書籍の内容を見ながら、淺草來々軒の姿を伝えたいと思っている。
脱稿まで5か月。取り寄せた本は30冊以上、読んだ本を合わせれば百冊超? ようやく結論まで辿り着いた。ので、読んで欲しいです・・・・。だって、「ラーメン・データ・ベース」でしょ!
データベース! なんだから 笑(続く)