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平日 薄曇り 13:45 先客3名 後客2名本日は午前中に中央線沿いで早めのラーメンだったのだが知らない街をぶらぶらしていると急に腹が減ってきた。珍しく連食気分なのは一食目が不自然な旨味のせいで完食出来なかったからだ。そこで思いついたのが同沿線上のこちらだ。レビューは初だが随分と前に何度か訪れた事のある店だ。十数年前の当初は地元の人に愛される町のラーメン屋だったが、突然ビブグルマンに掲載されてからは行列店になり訪問を避けていた。あれからひと段落ついてビブグルマンも外れた今だからこその訪問を決めた。名店不毛の東中野にラーメンヘッズを、いや敢えてこちらの店なのでラーメンファンと言うべきだろう。そのマニアでもフリークでもヘッズでもないラーメンファンが集まるキッカケとなったのはこの店の存在だ。今やプチ激戦区となった東中野駅に降り立った。当時の西口改札は整備させておらずエスカレーターなど設置されてなかったが随分と様変わりしていた。遠い記憶だが店の場所は覚えているはずなのでマップに頼らず向かったが珍しく勘が当たり最短距離で現着。自己申告なので最短距離かは不明。以前の噂に聞いた行列もなくすんなりと入店。入口を開けると昔と変わらぬ女性の明るく優しい挨拶が聞こえた。私は歳をとったがここは昔のままだった。違っていたのは数々の受賞歴を飾るノベルティだけだ。店内は今も女性だけで切り盛りされている。券売機もなく卓上メニューからお題を決めるが連食なので麺少なめにして味玉を追加。このメニューの裏には当時はなかった英語と中国語表記のメニューがありミシュランガイドの影響を思い知る。良く見ると変わってしまったのかな。しかし客層は私の知ってるあの頃と同じでサラリーマンが昼食を摂りながら新聞を読んでいたり、近所の飲食店の人が調理服のままで昼飯を食べていたりと町のラーメン屋の雰囲気はそのままだった。オルゴール調の有線から流れる洋楽も懐かしい。そんな感慨にふけっていると我が杯が到着した。小盛りなので小さな九谷の五彩を思わせる黄色の玉淵丼の中の姿は当時と変わらぬ色気のなさでぶっきらぼうに迎えてくれる。実は色気なさが好きだったりするので久しぶりに嬉しい。まずは栗皮茶色のスープをひとくち。口に入る前に感じたのは香りだったが動物系や魚介系の香りではなく薬味の白ねぎの香りだった。それ程に香りが立っていないスープなので正直ひとくち目は驚きを隠せない。物足りなく感じるのは自分の舌が余計な物を食べ過ぎて不感症になっているからだろう。カエシも穏やかで味覚を研ぎ澄まさないと感じない。麺は自家製のストレート中太麺で角がなく丸みを帯びた多加水麺。ツルッとした食感と噛みごたえと器の小ささから、つけ麺のあつ盛りを食べているようだ。この麺がアッサリしたスープと交じり合おうとしないので一体感は皆無。具材は豚ロースの焼豚で最先端のものとは比較しようがないクラシカルな焼豚。やや味の抜けた感じも昔と変わらない。焼豚の旨みエキスは全て煮汁のカエシに注ぎ込まれている。追加の味玉は変わらぬ美味しさだった。昔の煮玉子から進化し始めた頃の半熟味玉が一番輝いていた。この時期の味玉は現在の進化しすぎた素材重視の色付き玉子より私は好きだ。時間をかけて黄身を熟成させた味玉が素晴らしい。細切りメンマも過剰な主張はせず脇を固める。薬味の白ねぎは一番の香り隊長で全体を引き締める。海苔はその影に隠れてしまっていた。中盤あたりから味覚が追いついてきて、ようやく機能し始める。穏やかで優しいが旨みは十分に潜んでいる。インパクトのある一口目から驚くほど旨さを発揮するスープと違って付き合うのに時間がかかるが裏切る事なく美味いと思わせてくれるスープだ。しかし敢えて言うなら現代人の味覚からは取り残されてしまっているのかも。日常的に油分を摂取する世の中とは真逆の世界にいるようだ。進化と言う名の退化した味覚を持つ私には突き抜けた優しさが理解は出来るが納得するには至らず、この採点となった。しかし採点に考慮しない接客や雰囲気を加味するなら満点に近い店だと心から思い、いつまでもそのままでいて欲しいと願う。ミシュランガイドで変わってしまったと思われた店だったが、変わってしまったのは私を含めた現代人の歪んだ味覚の豊かさだと思い知らされる一杯でした。
本日は午前中に中央線沿いで早めのラーメンだったのだが知らない街をぶらぶらしていると急に腹が減ってきた。珍しく連食気分なのは一食目が不自然な旨味のせいで完食出来なかったからだ。
そこで思いついたのが同沿線上のこちらだ。レビューは初だが随分と前に何度か訪れた事のある店だ。十数年前の当初は地元の人に愛される町のラーメン屋だったが、突然ビブグルマンに掲載されてからは行列店になり訪問を避けていた。あれからひと段落ついてビブグルマンも外れた今だからこその訪問を決めた。
名店不毛の東中野にラーメンヘッズを、いや敢えてこちらの店なのでラーメンファンと言うべきだろう。そのマニアでもフリークでもヘッズでもないラーメンファンが集まるキッカケとなったのはこの店の存在だ。今やプチ激戦区となった東中野駅に降り立った。
当時の西口改札は整備させておらずエスカレーターなど設置されてなかったが随分と様変わりしていた。遠い記憶だが店の場所は覚えているはずなのでマップに頼らず向かったが珍しく勘が当たり最短距離で現着。自己申告なので最短距離かは不明。
以前の噂に聞いた行列もなくすんなりと入店。入口を開けると昔と変わらぬ女性の明るく優しい挨拶が聞こえた。私は歳をとったがここは昔のままだった。違っていたのは数々の受賞歴を飾るノベルティだけだ。
店内は今も女性だけで切り盛りされている。券売機もなく卓上メニューからお題を決めるが連食なので麺少なめにして味玉を追加。このメニューの裏には当時はなかった英語と中国語表記のメニューがありミシュランガイドの影響を思い知る。良く見ると変わってしまったのかな。
しかし客層は私の知ってるあの頃と同じでサラリーマンが昼食を摂りながら新聞を読んでいたり、近所の飲食店の人が調理服のままで昼飯を食べていたりと町のラーメン屋の雰囲気はそのままだった。オルゴール調の有線から流れる洋楽も懐かしい。
そんな感慨にふけっていると我が杯が到着した。小盛りなので小さな九谷の五彩を思わせる黄色の玉淵丼の中の姿は当時と変わらぬ色気のなさでぶっきらぼうに迎えてくれる。実は色気なさが好きだったりするので久しぶりに嬉しい。
まずは栗皮茶色のスープをひとくち。口に入る前に感じたのは香りだったが動物系や魚介系の香りではなく薬味の白ねぎの香りだった。それ程に香りが立っていないスープなので正直ひとくち目は驚きを隠せない。物足りなく感じるのは自分の舌が余計な物を食べ過ぎて不感症になっているからだろう。カエシも穏やかで味覚を研ぎ澄まさないと感じない。
麺は自家製のストレート中太麺で角がなく丸みを帯びた多加水麺。ツルッとした食感と噛みごたえと器の小ささから、つけ麺のあつ盛りを食べているようだ。この麺がアッサリしたスープと交じり合おうとしないので一体感は皆無。
具材は豚ロースの焼豚で最先端のものとは比較しようがないクラシカルな焼豚。やや味の抜けた感じも昔と変わらない。焼豚の旨みエキスは全て煮汁のカエシに注ぎ込まれている。
追加の味玉は変わらぬ美味しさだった。昔の煮玉子から進化し始めた頃の半熟味玉が一番輝いていた。この時期の味玉は現在の進化しすぎた素材重視の色付き玉子より私は好きだ。時間をかけて黄身を熟成させた味玉が素晴らしい。
細切りメンマも過剰な主張はせず脇を固める。薬味の白ねぎは一番の香り隊長で全体を引き締める。海苔はその影に隠れてしまっていた。
中盤あたりから味覚が追いついてきて、ようやく機能し始める。穏やかで優しいが旨みは十分に潜んでいる。インパクトのある一口目から驚くほど旨さを発揮するスープと違って付き合うのに時間がかかるが裏切る事なく美味いと思わせてくれるスープだ。
しかし敢えて言うなら現代人の味覚からは取り残されてしまっているのかも。日常的に油分を摂取する世の中とは真逆の世界にいるようだ。進化と言う名の退化した味覚を持つ私には突き抜けた優しさが理解は出来るが納得するには至らず、この採点となった。しかし採点に考慮しない接客や雰囲気を加味するなら満点に近い店だと心から思い、いつまでもそのままでいて欲しいと願う。
ミシュランガイドで変わってしまったと思われた店だったが、変わってしまったのは私を含めた現代人の歪んだ味覚の豊かさだと思い知らされる一杯でした。