コメント
ノスタルジックを感じるビジュアル!
いいですねぇ~
>そこで、餃子には、こういう支那そば。
>それも美味すぎないやつ。
同感です(笑)
1皿190円ってのもいいですね!
YMK | 2015年9月25日 08:20こんにちは!
シンプルでこれがラーメンですね〜!
カツ丼のクダリ、、
確かになるほど〜と
勉強になりました
ありがとうございますm(_ _)m
eddie | 2015年9月25日 16:13こんにちは~♪
懐かしさ溢れる一杯、ぬこさん同様、たまにこういうのを食べて、味覚をリセットしたり、身体の中を透き通らせる(感覚的に)思いに浸りたいです。
カツ丼の出汁、確かに鰹出汁で旨味を出すより、豚の旨味と玉ねぎの風味で勝負した方が素材の味を活かせるし、カツ丼としての存在感がありますね。今度試してみます。
人類兼麺類 | 2015年9月26日 14:39ご隠居こんばんは。
病み上がり、お元気で何よりですm(_ _)m
あぁ、ラーメンも喰らいたい、餃子も、くらってしまえ。
食らってしまえる、ホントにお元気で何よりです。
勝手に思っていて、すいません。
もっと食いたいが、麺を少なめにしようとか、
そういう行が出るのかなと思っていました。
こういうのが、圧巻のご隠居様です。
でも、本当はご飯も喰らいたかったのでは?
餃子とごはんは最強ですよね。
さて、この店、あぁあそこですか。
こういう店だったんですね。
ラーメンも餃子も食いたいというのはあります。
でも、ラーメンを食べに行き、ラーメンしか食べられないんですよね。
ケチなもので(^^;
こういう庶民的お店。
日高屋で代用できるようになってしまったような。
でもこっちのほうが楽しそうですが、
手軽さで日高屋に行ってしまう。
餃子はくらえませんが。
あぁ、でもこの店そそられますね。
餃子10個ですか、それに支那そば。
こういうのを喰らわないといけない気がしてきた。
ご隠居がよく言われる、ラーメンブームはそろそろ…
でも私はまだ毒されている。
ラーメンを食べなければ。
支那そばでないやつ。
でも、そろそろこういうのに落ち着いていかないといけない。
どう考えても、流行りのラーメンはそのうち体によくなくなると思うので。
じゃぁ、これが良いかと言われると(^^;
元気なご隠居に安心して、つまらんことをブツブツを
書いてしまいました、すいませんm(_ _)m
この理先輩 | 2015年9月26日 18:37◆YMKさん
コメントありがとうございます。
30年以上変わってないですね。
特にスープが変わって無い気がします。
餃子安いでしょ。
結構分厚くて、デカイのです。
餃子は結婚してからもワイフとよく食べました。
二人ともビールが好きなんですね。
バブルのころは、しこたま食べたものです。
◆ぬこ@横浜さん
コメントありがとうございます。
>こういうクラシカル・シンプルなラーメンをたまに食べて味覚をリセットするのも良さそうです。
そうなんです。
昔美味いと思った薄味の穏やかな味を、今でも同じように美味いと思える
感覚を残しておきたいのです。
そこで、今のは旨過ぎであることを認識しておいた方が良いです。
要は感受性が鈍くなっているだけのことですから。
KM | 2015年9月27日 10:08◆eddieさん
コメントありがとうございます。
このような味を美味いと思う感受性を残しておきたいのです。
濃い旨みを美味いと感じるのは、当然自分でも分かるのですが、
客をつけるためにどんどんエスカレートしてきてます。
大事なことは、自分を見失わないことです。
カツ丼、試してください。
肉ジャガもいいですよ。
肉とジャガイモの味がよく分かります。
◆人類兼麺類さん
コメントありがとうございます。
自分の味覚の変化をたまにチェックしておいた方がいいですよ。
味は変わっていないのに、美味い不味いの感覚がマヒしているのに
気付きます。
カツ丼、ぜひ試してください。
玉ネギの美味さなんかもありがたく感じ、特に玉子自身の味
は影響を受けます。
KM | 2015年9月27日 10:19ラーメン500円というところに、なんだか敬服を覚えます。
以前、荻窪の三益という店で「なんでこんなに安いんですか?」と店主に聞くと、
「ラーメンってそんなもんだろ。それにおれのはマズイからよ」と痛快な東京弁!が返ってきました。
商売なんだから儲けなければいけない。
だけど儲け以上に通い続ける常連さんやお客のことを考えちゃうんでしょうかね。
お客さんにはお腹いっぱいになって欲しいという、飲食業の喜びを体現しているのかもしれませんね。
>美味い不味いは心の問題で、紙一重なんだ。
突き刺さります!
とまそん@ラーメン食べて詠います | 2015年9月27日 10:27◆この理先輩さん
コメントありがとうございます。
元気が出ると食欲も出てきます。
でも逆もあるのです。
>もっと食いたいが、麺を少なめにしようとか、
あたり。
炭水化物を減らしてます。
餃子はまだいくらでもいけるのですが、やっぱり粉が多くなるので
ほどほどにしてます。
餃子はご飯でもビールでもいいですね。
>でも、ラーメンを食べに行き、ラーメンしか食べられないんですよね。
ケチなもので(^^;
同じですよ。
ここは安いので。
>ラーメンブームはそろそろ…でも私はまだ毒されている。ラーメンを食べなければ。支那そばでないやつ。
無理をする必要はないです。
食べたいものを食べる、と言うのが一番です。
蓮爾がよければ、それだけ週一というのもいいですね。
実際そうしていた時期があります。
毎週土曜日は蓮爾で、日曜日は陸でした。
食は楽しむのが原則ですよね。
KM | 2015年9月27日 11:04◆とまそん@ラーメン食べて詠いますさん
コメントありがとうございます。
>「ラーメンってそんなもんだろ。それにおれのはマズイからよ」と痛快な東京弁!が返ってきました。
いい話ですね。
なんか深い意味がありそうです。
なんの為の、誰の為のラーメンなのか。
なんの為に店を出しているかでしょうね。
もちろん自分のラーメンが、自分が食べたいラーメンであるというのが
一番大事なことだと思います。
そういう店に人が来て、長続きする気がします。
400円~500円のラーメンは、全部地元の人の為のラーメンなんですね。
この店のご主人と話したことがありますが、今のラーメンを食べたいと思わないそうです。
他のいくつかの店でも、ご主人の好きなラーメンは魚の入らない支那そばだと言うことを聞いています。
私はほとんどどんなラーメンでも食べます。
でもそれぞれ違う料理だと思って食べてます。
それでいい気がします。
でも最近は旨過ぎるのは、自然に避けている気がします。
KM | 2015年9月27日 11:23こんにちは。
遅コメントすみません。
>RDBの諸氏が60点とか70点を付ける、食堂のラーメン
そのとおりですが、安心感もあるビジュアルですね。
自分に必要なラーメンも色々なジャンルがある気がします。ハスミなんかもある意味必要です。
pvs aka duff | 2015年9月27日 14:49◆pvs aka duffさん
コメントありがとうございます。
>遅コメントすみません。
コメントは気が向いた時、いつでもいいのではないでしょうか。
すぐに返事しなければならないという空気を払拭しないといけません。
とにかく空気は読まないことです。
気が向いた時だけで。
>自分に必要なラーメンも色々なジャンルがある気がします。ハスミなんかもある意味必要です
おっしゃる通りではないでしょうか。
どんなラーメン店でも常連がいます。
その人が通う理由があるはずです。
ジャンルのそれぞれの良さを見つけるのが、本来のラーメン好きではないでしょうか。
蓮爾につしては、もう説明の必要がないですね(笑)。
KM | 2015年9月28日 09:11

KM
hori
ひぐま









~食堂のラーメンシリーズ~
◆支那そばの味(創業35年の店)
今日は町田市役所に用事があったので、午前中にあれこれしていた。
用事が済んだので、町田の台地の方に上っていく。
地形的には河岸段丘になっている。
雨もちらほら降っているので、いろいろな事を考えながら歩いてしまう。
さて、今日はなんとなく、支那そばと餃子が食べたくなった。
特に餃子を多めに食べたい。
この店も久しぶり。
もう創業から35年経っているのだと思うと同時に、よくもったと感心する。新しいラーメン屋さんが3年もてばリッパだ、という気持ちが交錯する。
ラーメン専門店は今の時代を象徴しているし、そのような思考が主流になっている。
中には黒いTシャツを着て、生き方まで教えてくれる店も少なくない。
それに対して、本当は多くの形態があってもいいのである。
もちろん提供するラーメンには、種類があるが、味わい方に多様性がなくなってきている方が問題だ。
人のDNAが皆違うように、味わい方も皆違ってほしい。
http://photozou.jp/photo/photo_only/286324/228221635?size=850#content
店の中は、まさに昭和の食堂。
http://photozou.jp/photo/photo_only/286324/228221637?size=1024#content
最初の客なので、窓際のテーブルに席をとる。
待つ間も、いろいろな事を考えてしまう。
そのような時間を取れるのも、近くの食堂の良さだと思う。
今の食べ物は、どこでもなんでもおいしくなっている。
若い女性やTVは、食べ物ののVariationの多さや、アレンジにはしゃいでいる。
ラーメンも皆美味しいので、もう美味いラーメンをミツバチのように探し求める必要も感じなくなってきた。
どこが美味いのかと言って比べても、所詮味は記憶しているつもりでも、、
本当の味はそんなに正確に記憶できない。何百、何千のラーメンの味を記憶できる訳がないのである。つまり、比較なんか不可能。
それより、美味い不味いは心の問題で、紙一重なんだ。
まずはそれを知ることだ。
ある意味ではどの新しいラーメンも想定内になってしまった。
どれをとっても、頼まなくても沢山の味が押し寄せてくる。
どの具材もよくできている。
そこには自分の行き場所がないのだ。ただひたすら目の前の美味い物を、口に入れるだけのことになる。
乗っている小さな海苔一枚の、海苔という味に心を傾ける時代ではなくなった。
幼少のころは、醤油ラーメンの葱のひとかけらの味に感激していたものである。
自分の美味さを探しださないといけない。
結局、哲学・イデオロギーと同じ問題なのだと思う。
この店は、RDBの諸氏が60点とか70点を付ける、食堂のラーメンと思って間違いない。ところが、それが愛おしく、食べたくなるのである。
そこで、餃子には、こういう支那そば。
それも美味すぎないやつ。
http://photozou.jp/photo/photo_only/286324/228221638?size=1024#content
頼んでいた、ラーメン500円とプックリ膨れた大き目の餃子がきた。
餃子は5個で190円なので、二皿分で10個。
なかなかいい眺めだ。
ラーメンと餃子が一緒に出てくる店では、まずラーメンからになる。
スープは醤油だけの味でなく、塩の味付けも感じる。
表面の油は少ない。
豚と鶏と野菜のスープに調味料。それも少し多めかな。
この位多いのが、昔風。
この『昔風』の言葉の中に、どれだけ多くの想い出があるのだろうか。
そして、その時の自分を思い出す。
麺は中加水、加水多めの細縮れ麺。
もっとも町田付近で一般的だったもの。
http://photozou.jp/photo/photo_only/286324/228221643?size=850#content
魚系の出汁は使っていない。
これが30年、40年前の町田、小田急線沿線のラーメンのスタンダード。
そして、餃子には敢てこういう魚を使わない物にしている。
後に食べる餃子は豚と野菜の旨みを食べるもの。
そこに節系なのどのイノシン酸を追加した旨みの多いラーメンを食べていると、せっかくの餃子の味がボケてしまう。
そういう濃い醤油ラーメンを食べながら、醤油を付けた餃子を食べるのはいかがなものだろうか。どれがどの味だか分からなくなる。
http://photozou.jp/photo/photo_only/286324/228221644?size=900#content
両者の旨さが引き立つスープ味にしておかないといけない。
これは大事なことで、特にカツ丼などに使う汁には、鰹だしなど入れてはいけない。せっかくの豚肉の旨みが死んでしまうからである。
なんでも汁の元のような、鰹出し入りの調味料で料理しないで、シンプルに江戸風の醤油と砂糖だけの方が素材の美味さがでる。
肉じゃがなんかも、出汁はいれないで、豚肉と野菜の旨みを楽しんだ方がよい。
すきやきなんかと同じかもしれない。
旨みや味をジャンジャン入れると、味覚がお子様化していく。
出汁を味わう料理も、本来シンプルなほど出汁が味わえる。
さて、この餃子を10個食べると、まあまあ量に満足できる。
これで880円。点数も88点にしておく。
本当は餃子をこれだけ食べると点数なんか分からん。
でもこのラーメンは必要なんだ。私の人生には。
『昔ながらのラーメン』は、昔うまかったはずである。
本当は今でも同じくうまいのである。
ラーメンは変わっていない。
自分の何が変わったのか、理性的に分析してみる必要がある。
昔うまかった自分の方が、人間的であり、幸せだったかもしれない。