丸デブ 総本店の他のレビュー
ぶるぢっちゃんのウワサの町中華さんの他のレビュー
コメント
こんにちは
ここで食べた時はラーメンじゃないと思いました。
でも当時は憧れの凄いご馳走だったんでしょうね。
淺草來々軒の麺は最初は手打ちと聞きましたが、機械打ちになってからこちらに来たのか、こちらで機械打ちの麺にしたのか。考えるとキリがないですけど、夢が広がりますね。
病気に負けないでください。
続編も楽しみにしています。
あらチャン(おにぎり兄) | 2021年7月30日 13:18「人は使命のあるうちは死にません」と、
仏典には説かれています。
ぶるさんはまだ書かなければなりません。
楽しみにしている人が沢山いるんですから。
NORTH | 2021年7月30日 18:07どもです。
ラーメンの伝承に国鉄開通の影響もあったかもって
現実味がありますよね🎵
僕に仕事と登山を教えてくれた敬愛する先輩はガンでしたが
オプチーボで信じられないような復活をしましたよ💕
ラーするガッチャマン(通院中) | 2021年7月30日 22:10おはようございます^^
ぶるさんの文章は心打ちます。
浅草来々軒の味を受け継ぐお店やかかわりのあるお店
そして時代背景と共に移り行く日本の食文化が
読んでいて楽しくてしょうがありません。
やらなくちゃいけないことがまだまだ残っていますから
病気に負けず頑張ってくださいね。
mocopapa | 2021年7月31日 07:07こんにちは。
なるほど豚臭く、脂っこいスープは味を変えた後のスープと言うことですか。
その味を引き継いだ店もどこかにはあるんでしょうね。
まだまだ調べることは沢山ありますよ。これからも元気を出して頑張ってください。
kamepi- | 2021年7月31日 10:31北の方にですか。
いってらっしゃい。
そして、帰ってきて下さいね。
また楽しみにしています。
大正七年頃に蕎麦的な出汁から豚を使うスープへ…
そう考えた切っ掛けは何だったのでしょうね?
おゆ | 2021年7月31日 11:50こんにちは😃
この説の真偽を論じるのはナンセンス。
実に旅情的な、一流のミステリーを読み終えた感覚です。
散りばめた布石…たちばな家やでぶまるの存在も、
余韻に華を添えてますね。
ぶるさんが描き続ける限り、私も一語一句真剣に読みまっせ。
ファイト。
としくん | 2021年7月31日 16:11こんばんは~
この内容で、ドラマが制作されそうな…
深いですね!岐阜ラーメン500円素晴らしい。
チャンスがあれば、食べてみたいです。
あひる会長 | 2021年7月31日 19:18極めてコメントしにくいんですが、ポジティブに病と向き合われている塩さんのスタイルは変えないでいただきたい。ネガティヴは似合わない。
無責任ながら、それだけお伝えさせていただきます。
Dr.KOTO | 2021年8月1日 19:03じいじ、こんちわ!
軽く行くって言えない世の中だから、
良き日にいつものメンバーで飲みましょ。。
junjun | 2021年8月2日 07:55こんばんは
昨年に福島で御一緒させてもらったものです。
6月から愛知県に住むことになり本日こちらに行ってきました。
高山ラーメンもたまにはレビューしていきます。
イケちゃん | 2021年8月7日 19:10こんばんは
また読み直してみました。
偶然にも丸デブもまさごも行ってます。
その頃は丸デブもまさごもそこまで有名ではなかったと思いますが、何故か2軒共向かいました。
ぢっちゃんさんが名前を更に有名にしたのだと思います。
確かに遠い未来に丸デブ物語とか、NHKの連続ドラマとかにしても面白そうです。
あらチャン(おにぎり兄) | 2022年7月9日 19:56

ぶるぢっちゃんのウワサの町中華
maroto
Ramen of joytoy
りるは
Chris MacArthur
HASH-ROYAL





明治の味を紡ぐ店 最終回 岐阜市内篇
※今回のレヴューは、ボクの想像・推測の域を出ない記述を多用しています。もちろん書くからにはある程度の自信はありますが、百年以上も前のことを断定的に語るつもりも、これが正しい解釈だと大声を上げるつもりも毛頭ありません。「ああ、こういう可能性もあるな」程度にお読みいただければと思います。
また、前回同様、☆と☆に囲まれた箇所はボクの創作ですので、ご了承ください。
☆
「旦那様、どうぞお元気で。お店の更なるご繁盛、心から祈っております」「おう。お前も人の店の心配なんぞするより、自分のことを心配せい。くれぐれも身体だけは気を付けろ。支那蕎麦の店をやるのには、身体もキツイからな」。
・・・この日、淺草來々軒の店主・尾崎貫一は、従業員であった神谷房治を見送りのために東京駅に来ていた。神谷は数年に渡る淺草來々軒の修業を終え、故郷の岐阜に帰るのである。
「ありがとうございます。最初は屋台を引きますが、きっと数年で店を構えます。旦那様から教わった來々軒の味、必ず守っていきます」「おう、それはありがたいことだ。そうそう、屋号はな、客の皆が『丸デブ』ってお前さんのことを呼んでいたから、それにしたらどうだ」「ハハハ。それはないでしょう。でも考えておきます」「達者でな」「旦那様も」。
尾崎は店の者に作らせたシウマイを取り出し、神谷に渡す。「いくら特別急行列車と言え、岐阜までは10時間以上の長旅だ。汽車の中では腹も減るだろう。これでも喰えや。お前の好物、シウマイだ」「ありがとうございます。來々軒のシウマイは絶品ですもんね」。
ポオーッツ! 東海道線・東京駅発下関行の特別急行列車の汽笛が響き渡り、車輪が鉄路の上をゆるりと走りだした。神谷は窓から身を乗り出し、ちぎれるばかりに手を振った。もちろん貫一も、である。ただ、貫一の頭の中の半分は、そこそこ繁昌している自分の店、つまりは淺草來々軒をどうやって常に客で満杯にするか、で占められていたのだった。
☆
・・・ボクはこの店、二回目である。三年半前に来て食べた。印象は今回も変わらない。ボクの感覚が相当おかしくても、この店の中華そばを喰って、脂っこいとか豚くさいとか言えるはずもない。やっぱり此処は「ラーメンと思うな、日本蕎麦と思え」なのである。
醤油がキリッと立ち、ほのかに甘く、目をつむって食べればそれは日本蕎麦のつゆと感じるだろう。いや、目を開けていてもこれはやっぱり日本蕎麦のつゆ。麺だって、これを中華麺と呼ぶには激しく抵抗がある。まったく以て、日本蕎麦を啜る感触である。
赤く縁どられた蒲鉾は、やはり日本蕎麦からのアイデアか。そして丸デブの中華そばであることを示すアイコンでもある。この一杯を、日本蕎麦と言わせない決定的な具、それはもちろんチャーシューだ。脂身の少ない煮豚であるが、味が染みている。三年半前より百円のプライスアップであるが、それでもワンコイン、すなわち五百円とは奇跡のようだ。けれど客の半数ほどはワンタンと中華そばの両方喰うから、千円、であるけれど。
前回も書いた。この一杯を一言で表すなら“進化した化石的中華そば”。今回もまた、中華そばの歴史もたっぷり味わえた。また、いつか。ご馳走様。
・・・この店、丸デブ。淺草にあった來々軒から最も早い時期に分かれた、岐阜県出身の主・神谷房次が開いた店だ。そして、房次が大正六年に創業して以来、今に至るまで味の組み立てを一切変えていないと言う。しかし一方、大正七・八年頃の淺草來々軒のスープは、脂っこく、豚臭かったと、複数の記録・証言があるのだ。
・・・淺草來々軒を巡る最大の謎。獣臭くて脂っこいといくつもの証言が残るがさて、この店の存在をどう説明するというのだ。僅かな期間で、それは数年かも知れないが、淺草來々軒の味を、スープを、麺を、すっかり変えてしまったというのか? 淺草來々軒の最盛期は大正半ばから関東大震災の直前あたりまでだが、それでも大正初期でも一定の人気はあったろう。神谷房次氏が岐阜に戻って、東京で流行った味を捨てて一から岐阜で味を組み立て直したのか? いや、東京でもまだ大衆的な値段で支那そばを喰わせる店はそう多くはなかった時代である。岐阜市内ではずっと少なかったろうし、ことによっては神谷房次の屋台が、岐阜市内初の支那そば屋台であった可能性だってあるのだ。ならば、一定の人気があった淺草來々軒の味で出すのが常識というものだ。多少の変更はあったにせよ、東京で教わった味と決別する理由なぞ見当たらない。
では、一体どういうことだ? 可能性はたった一つ。
これはたぶん、こういうことなのだ。
淺草來々軒は、少なくとも1回、スープの味を変えた。それも相当思い切った変化を。そして、変化をする前のスープは、というと。
そう。蕎麦だしを思わせる、蕎麦つゆのような味だったのである。神谷房次氏は淺草時代の、それもごく初期のスープの味を岐阜に持って帰ったのだ。そしてそれは、丸デブの現在の店主が語るように、現在に至るまで、ただの一度も変えずに提供し続けている。
だから、もちろん「おそらく」「たぶん」という枕詞を付けるのだが、この丸デブこそ淺草來々軒が誕生した明治末期から大正半ばにかけて客に提供していたスープ、そのものの味を提供している「明治の味を紡ぐ店」だったに違いない。そしてそのスープは、「まさご」そば創業者・坂口時宗氏によって高山本線伝いに同じ岐阜県の高山に伝わった・・・・・
そして、大正時代半ば以降からの淺草來々軒のスープは獣臭く、脂っこかったというのは本当なのか? 明確に直系と呼べる祐天寺来々軒や千葉・穴川の進来軒は、獣臭くも脂っこいということもないのだが。
答えの詳細は、ボクのブログ
『明治の味を紡ぐ店
謎めく淺草來々軒の物語 最終章
https://blog.goo.ne.jp/buruburuburuma/e/10e274d87ab2698a1161374b2933f956
をお読みいただければ幸いに存じます。
(このせいなのか、一昨日あたりからRDBのボクのアクセス数がエライことになっているんだよね・・・
終わり
というのもね。だから簡単に書いておきますわ。
まず、大正七年ごろの淺草來々軒のスープ。豚臭く、脂っこいというのは、実はボクが7月11日にUPした 祐天寺 来々軒 のコメント欄に皆さんが記述した通りだろうと考えています。原文ママで紹介します。
例えば ぬこ横浜 さん。『受け手(食べる側)をとりまく食文化の変化と慣れというのは考えておいたほうがいいのかもしれませんね。大正期だと、まだ中華料理が家庭に普及する過渡期なので、まだ豚を使ったスープには慣れていない層が多かったのかもしれません』。
次にNORTHさん。『蕎麦つゆに慣れた当時の日本人には、ラーメンは相当に豚くさく感じたのでしょうね。自分も子供の頃に食べたラーメンは、豚くさく脂っこい印象しかありませんでした』。
さらに ラーするガッチャマン さん。『そばの鰹出汁がメインだったあろう当時の客に豚のすーぷが豚臭く感じたのかも知れませんが嵌った人たちもいたのでしょうね👍近代日本の味の進歩に現れてると思いますが、それが來々軒なのが素晴らしいです』。
としくん さんもこう書かれておいでです。『因みに、昭和初期の方が今のラードや鶏油のラーメンスープを飲んだら何と言うのか??』。
流石ラヲタさんたち(笑)。ボクは敢えて、このスープは「大正七年ごろ」と書いてきました。淺草來々軒が、明治末期の創業当初からこのスープは出していなかった、大正七年ごろ改良したと考えていたからです。豚臭い、脂っこいという記述は大正七年ごろより後の記述によく出てくるのです。そしてそうでも考えない限り岐阜の 丸デブ 総本店 のスープの説明がつかないんですよね。そして、高山の まさごそば と丸デブ 総本店 は、高山本線の全通(時期)と、その2年後の高山~岐阜間の快速列車の運行が結び付けたと考えるようになりました。
まさごそば の初代・坂口時宗氏が中華そばを覚えたのは芝浦の北京料理店雅叙園であり、しかしそれは「麺打ち」だけであり、スープではなかった、ということも、丸デブ 総本店 似たスープになったという理由かもしれません。
丸デブ 総本店 のスープの味と麺の食感を記憶して自分の店で出した・・・、さらにもしかすると、時宗氏は昭和10年前後の淺草來々軒に何度か食べに行ったのかも知れません。そして、麺の上に載る具を覚えていた、だから まさごそば と、淺草來々軒三代目の尾崎一郎氏が語る一郎氏の來々軒の具との構成が一緒になったのかも・・・。
また、このシリーズで明らかにしていなかった点を書いておきます。
淺草來々軒の後継店の可能性がある店がもう一つあります。これは、淺草來々軒が創業の地・浅草を離れた理由とも関連しています。今回は敢えてその店には触れませんでした。行くこともできませんでした。なぜなら、淺草來々軒との関りを示す記述、それはその店の公式サイトだったのですが、今はもう存在しないのからです。その理由は分かりませんが、もしかすると、という理由はあります。その理由でサイトを閉じたとしたのならここでまたボクが書くわけにはいきません。また、その店は昨年春『新型コロナウイルス感染拡大防止の為、当面の間休業させて戴きます』と告知されて以降、再開したかどうか分からないから行けないのです(今は営業しているようですが)。行くのは結構辛い場所なんですね。ただし、ボクはその店に二度ほど行って、RDBにも一度レヴューを上げていて、その時に、その店の公式サイトにあった記述を書いています。
その店のことをボクは7月16日の 浅草橋 大勝軒 でぼかして書いています。だから『その答えになるかも知れない記述が、ネット上に僅かに残されている。そして、それを残した一人は、実はボクでもあったりするのであるが』と書きました。ネット上のボクの記述は、「渓流の真上」「手つかずの東京ラーメン」です。その単語で店を検索してください。
これで、郡山の 手打ち中華 トクちゃんらーめん の公式サイトと、人形町(珈琲)大勝軒四代目女将のインタヴュー記事とが、その店とつながるのです。ただし、そこから類推できる結論は『その店は、淺草來々軒と味の繋がりは全くない』でありますが。
それからもう一つ。それは7月1日、高山の つづみそば のレビューで『ボクはその高山で(ボクにすればという条件付きで)信じられない店を見つけてしまったのだ。まさにあり得ない展開で、ホント、ビックラ! なのである。それもブログで写真で近々お見せしよう』とボクが書いた店。それはこの丸デブに関係することです。
この丸デブ、総本店とありますよね。でも支店はありません。かつてはあったかも知れませんが今はありません。けれど、高山にいたボクの目の前にあったのは・・・・思わず吹き出しちまいましたよ。それは、此処ですね。
https://blog.goo.ne.jp/buruburuburuma/e/73877d6fe48111bbe7e43119d1253a44
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足掛け14年にわたってRDBに投稿を続けてきました。RDB現役レヴュワーでは、mocoさんもおいでですが、最古参の部類に入ることになりましょう。気が付けばもう還暦も過ぎ、がんを患ったこともあって現役サラリーマン生活も終えました。今は旅行などもうそれほど長くはないであろう残された暮らしに彩を添えるため、週4日・残業ほぼ皆無という仕事をしています。いや、正確にはまもまく過去形に変わってしまいます。
無念、というか・・・がんが悪さを再開したようです。腫瘍マーカーの値が、4月検査時より8倍に跳ね上がり、主治医から「再転移・再発の可能性が極めて高い」と告知されてしまいました。かかりつけ医に話したところ、「やりたいこと、好きなことをしなさい」と言われました。9月初めには何処に転移したか、あるいは再発したかが分かります。もう3回目ですから、「がん」と言われたのは。諦めるつもりはありませんが、覚悟は日々決めつつあります。それでも消化できずに、結構ストレスを強く感じてしまって、何をやるのも虚ろな思い・・・。
それではいけない、死ぬまで一所懸命に生きてやると決めたのです。そこで、身体が動くうちに旅行をしようと思っています。RDBを引退するつもりはさらさらありませんが、引退を余儀なくされるその時期はそう遠くないのかも知れません。
あ。気になる店があるんですね。無論、淺草來々軒に繋がる可能性がある店です。そうやすやすと行ける場所ではないので、元気なうちにさっさと行きましょう。さて、どこでしょう? 北のほうに、あるんですよ。それでは。
行って来ます! 近々お会いしましょう!